読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

台湾の辛い歴史!ニニ八事件

暦の上では、今日が2月最後の日となっている

3月から季節は春になるわけで、実態はともかくとして、いよいよ冬が終わることを実感する。

そういえば、70年前の今日、つまり2月28日に、台湾でニニ八事件という事件があったのをご存知だろうか

日本ではかつて226事件があったわけだが、それとは別の話である

終戦とともに、日本統治が終わった台湾。

日本人たちが台湾を去り、中国大陸から蒋介石率いる国民党がやって来て、いよいよ光復のときを迎える、と台湾の民衆は喜んだらしい

ところが、期待に反して蒋介石らは日本統治時代よりはるかにひどい政治を行う

差別、暴力、搾取、略奪、汚職前近代的といったキーワードがぴったり来るような統治で、それまで築き上げてきた法治主義から人治主義国家に成り下がってしまったそうだ

そんな状況を背景として、たくさんの生活困難者が発生する

そんな1人の女性がなんとか生きていくために、台北の街頭で闇タバコを販売していた

それをとがめた国民党政府の「警察官」が、取り締まるとともに公衆の面前で激しい暴力を振るったそうだ

1947年2月27日のことである。

その話は、またたく間に台北市民へ人づてに伝わった

そして、それまでの酷い統治と、暮らしに困って仕方なくやった軽犯罪に対する苛烈な処置に抗議して、多くの市民が市政府に詰めかけた

それが70年前の今日、2月28日のことだったので、ニニ八事件と呼ばれているのである

やがて抗議の輪は台湾全土に拡がり、一部は暴徒化して国民党軍を脅かすほどの強さを発揮したらしい

日本兵の存在と、戦時中に受けた軍事教練が、善くも悪くも「実力」を発揮したのである

さらに日本統治時代に初等教育を徹底させ、名古屋や大阪よりも早く台湾に帝国大学を設立するなどして教育の普及に努めた

そうして育った知識人たちはニニ八事件の「処理委員会」を立ち上げ、台湾人の権限や権利の拡大などを盛り込んだ、民主的な改革を蒋介石らに求めたのである

そして、蒋介石自身もその委員会の設置を受諾。

抗議活動もいったん矛を収め、台湾は再び平和と秩序を取り戻すかにみえた

ところが実は、蒋介石が処理委員会の設置を受諾したのは、単に中国本土から鎮圧部隊を呼ぶまでの時間稼ぎに過ぎなかったのである

3月8日以降、台湾に上陸してきた鎮圧部隊は、米軍式の最新装備を備えたガチの軍隊だった。

そして蒋介石は、デモ首謀者や参加者、そして暴徒たちを次々と殺害していった

その数は約28,000人とされている

それ以来、台湾には「世界最長」の38年間にもわたる戒厳令が敷かれ、ニニ八事件自体の話をすることすら厳しく禁じられた

だから、日本の与那国島から100kmも離れていない台湾の地で起きた大事件も、ほとんど日本人が知らないまま戦後の時が流れたのである

こんな異常な状態に終止符を打ったのは、日本で教育を受けた「元日本人」だった。

京都帝大に学んだ李登輝氏が就任すると、徐々に人事改革を行うなどして民主化を進めたのである

それは、1990年代に入ってからだ。

同時に、ニニ八事件のことも公に語れるようになった

こうして、台北市内に記念館が出来たり、各地に慰霊碑が建てられたりして、後世に語り継がれるようになったのである。

現在、多くの台湾の方が日本に良い印象を持って下さっているのも、蒋介石政権当時の統治が酷かったことの反動から、「日本の時のほうがずっとマシだった」という思いを抱いた方が多かったからではないかと思う。

台湾が引き続き、平和で民主的な地であり続けることを願ってやまない

そして、二度と再び暗黒の時代が訪れることのないよう祈る、2月28日の私であった